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2011/01/05

ハロー、2011年。

ハロー、2011。
グッバイ、2010。

ブログを放置しすぎました。

パソコンを買って、快適にブロガー生活をする予定だったけれど、お金っつーのは天下の回りもののはずが中々オレの所には回ってこないモンでねぇ。
RSRの続きは皆様の想像の中で(笑)

で、2010年後半は何やらイロイロとヤラれ過ぎでした。

とにかく何かしら不安をおぼえながらの後半期でした。
大親友が結婚したり、ジイちゃんがブッ倒れたり、なんだか気が休まらない気が自分で勝手にしているって言うか、まぁそんな感じ。

それ以外でも色々あるけれど、その大親友が結婚したことがとても嬉々したことであり、切欠を作ったのがオレって言うのもあって本当にホッとしたねぇ。
彼がくれた出会いのおかげで自分はとても成長できたってのもあるし、今のオレが居るのも彼のおかげだったりするから、彼と彼女が結ばれたのは何物にも代えがたいプレゼントを逆に貰っちゃったっつーかなぁ。
まぁ、とにかく嬉しかったんだよ、オレはさ。

学生時代に特に仲の良かったメンツを今ではTEAM-YAMIUCHIと呼んでいるのだが、その首領ちゃんとチヒロ(バラしてスマン)が結婚した事はもう嬉しくて嬉しくて。

オレが同じ短大で停車していた自学のバスでチヒロに話しかけて
『もしかして同級?高校どこ?』
『あー、H高なんだぁ!じゃあ○○(首領ちゃんの本名)知ってる?』
『あ、何となく…』
『実は同じ自学通ってんだよ~!』

・・・で、その日に高校時代に面識はあっても改めて出会うワケですよ。
恋愛感情とかそんなんは互いに他の人が居たわけで抜きにしてね。

それから学生の時はこの2人と明石君(首領ちゃんとオレの中学の同級生でオレと同じ短大に入学した)の4人、サブメンバーはバイト先で一緒だったトヲル氏とか首領ちゃんやオレの同級とか、それぞれオレが当時付き合っていた彼女とか、まーとにかくたくさん絡んだけれど、中核はこの4人だった。

池田のワイン城行ったり、よくわからんトコで突発的にやる焼肉ね。

有楽町ジンギスカンがスタンダードで、みんなでジンギスカンをハフハフしながら呑んだっけ。

チヒロのギャル臭いブルーバードと、明石のビガー(通称 バンバンビガロ号)と、オレのミラターボと。

何かわからんけれどよく行った芽室町。
アヘェと無意味に行った芽室町。
芽室町祥栄のJAにはパツキンのかわゆいギャルがいるからって期限間近のコーヒー牛乳を買いに行った芽室町。

最初はソフトクリームツアーとか行ったっけ。
ソングパークてオレの前歯が首領ちゃんの襲撃で欠け、チヒロの親友を明石に無理やりくっつけようと頑張ってみたけれど明石が逆切れして、カラオケチャンピオンで毒霧選手権とか開いて飲んだ酒を明石とオレで互いにブッカケあったり、ダーツで罰ゲームとかなんだりかんだり…それが2001→2002。

もう、2011年なんだなぁ…って。
そういう、精神的モラトリアムの喪失感というか、そういうものがとてもある。
特に、高校から卒業してもう10年という区切りが恐ろしい。
その後の人生の後悔も多いワケで。

あー、あの時にもっと上手く行ってりゃ今頃首領ちゃん達よりも早く所帯持っていたかも…とか
いや、あの時進学しないで自分のやりたい道に進んでりゃ今頃バイトでフーフーいいながらも劇団やってたかも…とか
あの時、もうちょっと勉強頑張ってりゃ教員免許持ってたかも・・・とか

だけどさ、ifで考えちゃイカんよね、もしドバイでホクトベカが予後不良になって無けりゃ今頃エスポワールシチーやフリオーソよりも上の仔作ってたかも知らんもんね。
本能寺の変がもしなかったら、今頃は全く違う世の中だったかも知らんしね。

まぁ、オレが生きる意味を見いだせたなぁというか、よくわからないけれどそんな感じ。

今日みたいな日はこの詩がとても心に滲みる。

なんか話変えるけれど自分でパーティーをやろうと2010年中に考えていたんだけれど、それに伴う仕事上の制約とか一言じゃ表し切れない実態のない何かに邪魔されてそれどころじゃなくなったっつーかなぁ。

とにかく不完全燃焼なままに28歳になりました、ありがとう。

そういや、年末に高校時代に社会科教えてくれていた高校の先生に会いまして…

オレの仕事っつーか、まぁオレも同業者に近い仕事をしているワケて、スゴくホメてもらいまして。
んで、色々高校時代の話やら同級生を交えながら語ったワケですよ。
その日はパーティーもブッキングしていたんで2時間くらいの間ですが結構話せました。
もう46歳くらいなる恩師がそれはそれは元気で。

オレか高校卒業後に転勤されて、無名に近い競技でありますが世界一…つまり世界チャンピオンになられたんですね。
それ、職場で3年くらい前か…生徒と一緒にTVを見ていたのだが、いきなりその先生が夕方の番組で特集されていて驚いたのです。

彼が十勝に帰ってきて相変わらずの健在ぶりに逆に元気をもらいましたねぇ。

だけど、いつまでこの仕事やってられるかわかんねーや。
だって、退職前に死んでいく同僚多いもんね。
死ぬかも知らんって危惧する時は、本当の自分の夢を叶えよう…なんてもし所帯を持っていない時の話だがそう思うのだ。

ってかさ、男はアツく生きなきゃ駄目だよな。

スロットの中の安田一平君に励まされました。-12000円(1/3)。

とにかく、2010年は「漂泊の思ひやまず…」の一年でした。

帯広のパーティーHOMEのレギュラーになったので、気持ちを引き締めながら音楽はやっていこうかなぁと思っておりますです。

おい、28歳ってよぉ…本当にアラサーじゃねぇか?!
どうすんだよ、オレの今の年にウチのオヤジはオレの弟もいてオレが今住んでる家も建てて二児の父だったっていうのに…
ますます、オレのオヤジの背中は遠のいていくなぁ。。。

ちなみにオレの高校時代のロシアを捩った10カ年計画(高校の時のノートより抜粋)

20歳 日本大学芸術学部演劇学科入学
21歳 バイト代を工面してなんとかターンテーブルとミキサーを購入
23歳 大人計画のオーディションに合格!演劇と学生生活、そしてバイトでヘロヘロの毎日。
24歳 単位不足のため1年留年。この頃からフロアでプレイ出来るようになる。
25歳 卒業。バイトと芝居に明け暮れる毎日。怪しいフリーライターを掛け持ち。
26歳 自分の劇団を持ちたい思いは高校時代から。しかし、現実として考え始める。
27歳 自分の劇団を立ち上げる準備をする。東京のManiac Love(今は亡き)でレギュラーとしてDJ。
28歳 演劇集団Aggressive Theater Project(通称 劇団ATP)を主宰。演者を4人に限定しての演劇活動。
42歳 JRAに馬主登録。
56歳 所有馬が日本優駿(日本ダービー)を制覇。晴れてダービーオーナーとなる。
120歳 まだまだ生きる。

…の予定だったはずだが、人生っつーのはわからんねぇ。

今のオレが歩んできた道っていうのは、自分ん中で考えていた平凡な道の一つだったのだけれど、歩んできてわかったよ。

平凡である事は、一番生きやすいのよねぇ☆

っつー事で、今年は良い意味で変化のある年にしていこうと思います。

やるならいましかねぇ~
 やるならいましかねぇ~

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